上智学院サステナビリティ推進本部学生職員金アンジェラ、竹内綾、橋野陽和「決めなくてはならないのは私だから。私が決めるよりしようがないのだから。だって、聞く人はいないのです。…トップというのはそのためにいるのです」(小山、P179、2014)先生の大きな功績の一つに、フセイン政権下のクルド人への対応があります。政権による弾圧でクルド人難民が一度に180万人発生し、近代史最大の緊急事態とも言われました。先生は当時国連難民高等弁務官に就任されてまだ数か月でしたが、国内の避難民たちにどのように介入し、支援をしていくべきかについて重要な決断を迫られました。その際、“現場主義”の姿勢を取り、直ちに現地へと出向きました。一日中歩き回っては立ち止まり、彼らに話しかけてじっと耳を傾けたといいます。そして、避難民たちのそばにいることを優先し、彼らへの支援に介入することを決めたのです。先生の判断基準は常に「命を守ること」にあり、「生きてもらう方法」を選び取ることにありました。このような姿勢はその後の活動においても変わりませんでした。先生はご自身の活動について、「実態を把握するためには現場に行き、何が不安定の本当の原因かを正しく知る。現場で状況を把握し、そこでどういう解決をしていくかということが大切だったと思います。同時に相手の状況をちゃんと調べて分析することも必要です」(中村、P101、2022)と振り返っています。自分がどんな立場であっても、目の前にいる他者を大切に思い、寄り添おうとする緒方先生の姿勢には感銘を受けます。このリーダーシップ性と他者を思いやる姿勢こそ、先生のご活躍を支えてきたといえるでしょう。またこのような信念は、上智大学の「他者のために、他者とともに」という教育精神にも通じる点があります。実態を自ら知り、苦しんでいる人に寄り添おうとする心は、大学での学びや今後の人生の生き方においても心に留めておきたいものです。1927年に東京都で生まれ、幼少期はアメリカ、中国、香港などで過ごしました。その後、聖心女子大学に進学し、ジョージタウン大学で国際関係論修士号を、カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士号を取得しました。1976年には日本人女性として初の国連公使となり、1980年に本学教授に着任されました。在職中は、女性初の学部長として外国語学部を統括され、国際関係研究所長など数々の役職を歴任されました。そして1991年、女性のみならずアジア出身者として初、学者出身としても初めての国連難民高等弁務官に就任され、10年間その任務を全うされたのです。本学名誉教授である緒方貞子先生は、日本人初の国連難民高等弁務官として数多くの困難な場面で、リーダーシップを発揮されてきました。緒方先生はどのような生き方をされてきたのでしょうか?直接お目にかかることができなかった学生の目線から、先生のキャリアとその人生を振り返っていきたいと思います。学生職員竹内3世界を動かしたリーダーシップ
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