私のライフコースは、日本が民主主義教育制度を受け入れた時代という‘歴史時間’や、10歳の時に母が病死し、父の強い影響を受け生育した‘家族時間’、そして初めてアメリカ文化に現地で接した17歳という私の年齢とそれが大人に移行する時期であるという‘個人時間’により形成されたと思います。高校2年の時、文部省にニューヨークの新聞社主催によるワールド・ユース・フォーラムの日本代表に選ばれ、NY周辺で3か月過ごしました。現地の高校生の家庭で過ごし、32か国を代表する高校生たちと議論を重ね、最後に全員フォーラムで「私たちが望む世界」について発表するという経験は、当然のことながら私のライフコースに大変革をもたらしました。私の視野は、その後NYの大学に入ってから広がるばかりで、人間関係や社会の構造・文化の分析の方法をミクロからマクロまで提示する社会学の勉強に興奮を覚える程でした。キャリアといえばほとんどの人が職業を連想します。私の場合、研究者という職業と政策・行政などへの提案や要請などアドボカシーの活動が統合されています。アメリカの大学を終えて帰国した私は、日本社会が長い歴史をもつ家父長制の構造と文化が岩盤となって、第二次大戦後の経済成長は「専業主婦」という規範によって女性を二流の働く人としてきた成果であることを発見し、アメリカに戻るか、このまま留まり日本を変えるか自問しました。変えるための戦略は日本社会を分析する専門家になることとし、理想的なツールは社会学でした。現代日本社会の原点を求めて大学院に入り、農村社会学の第一人者の下で修士課程を終え、日本社会の基礎知識と学会での足場が出来ました。私の論文や報告、講演は日本社会の実証であり、性別役割について多様な対象者へのメッセージとなるものです。上智大学社会学科に農村社会学と家族社会学の担当教員として採用された直後に、将来を見据えて博士号を取るために3年間の休職で渡米できました。1970年代初期のアメリカでは科学革命の議論が活発で、多様な上智大学名誉教授、Gender Action Platform 理事長。ウェスタン・カレッジ・フォー・ウィメン(米)卒業。東京大学大学院社会学研究科修士課程修了、社会学修士。ケイス・ウェスタン・リザーブ大学大学院博士課程修了、博士号(Ph.D.)取得(米)。15社会学との出会い二つのキャリア
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